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あなたたちの意識の外にいるわたし

現代文の授業を受けていると、
国語の教師ってなんでこんなにも偉大なのかっていつも思う。
もちろん偉大なのは国語の教師に限ったことじゃないのはわかってる。
(それなのに私たちは時々彼らに悪態をつく。)
でもやっぱり他の教科の偉大さに比べて、国語のそれはとても顕著だ。

小説でも、随筆でも、評論文でも、
一人で読んでいる間はたいていそれなりにわかったつもりになってる。
それなのに改めて(先生の解説付きで)読み解いていくと、
みんながみんな全く違った色やら空気やら重みやらを持って私に迫ってくる。
どうやったら一人でもこんな風に本を読めるだろうと思う。
もしかしたら今まで読んできた本も、私は筋違えて読んでいるかも知れないと思う。

それは私が若いからとかそういうのももちろんあるんだろうけどね、
でもね、それだけではない気がする。
少なくとも私の周りにはそうやって本を読む大人はいなかったと思うから。

ちなみに今は『海辺のカフカ』を読んでる。村上春樹の。
高校に入って一つだけ自分を誉めてあげられることは、本を沢山読んだことだ。
自分なりのペースではあるけれども。
弟は小さいときから読書家だった。
そういう弟を見てきて、どうして私は今まで本を読まなかったんだろうって思ってきたから、
ずっとしたかったことの一つを少しずつ実現してるのだ。


一年以上前、彼と彼の友達と私とで三人並んで夕方の道を歩いていたとき、
私が言ったことはきっと今も嘘じゃない。
「ゆうこは今までゆうこに関わってきた人みんなを愛してる。
 良くも悪くも、その影響があってこそ今のゆうこがあるわけだから。」

確かに最近までそういう気持ちを忘れてた。
今だって完全にそれを取り戻したわけじゃない。

でもそれを受け入れてくれたふたりが大事だったのよ。私には。

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self-portrait

空腹など覚えるこの体はなんだ

睡眠などを求めているお前は誰だ


いっそ誰かの所為にしてしまえるのならどんなに楽か

善か悪かはおいてしても

彼、彼女を攻撃することに一心不乱になれたはずだ

たとえそれが私自身だって構いやしなかった

自身で自身を罰することで人々が許してくれるのなら

何だって進んで一所懸命になった


だからなのだ

私のこの比較的白い手首に傷が増えなくなったのは

罰してなどならない

そのようなことをいつ許されたのか

この上さらに人様を苛立たせるつもりなのか

まして自殺など、一体お前は何様か

自惚れもいい加減にしておいてほしいものだ

それは手前の咎を人様に押し付けただけの逃げではないか


真に罪を思うのなら

生きて生きて、誰よりも長く生きなさい

そしてこの汚れた体を人目に晒してゆきなさい


死ぬな、腐るな、還るな

如何なる我が遺伝子も

この体焼き尽くした灰の僅かも

決してこの世界に残してはならない
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