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ちるどれん

きのうの手術、やっぱり痛かった。
膣をひろげる器具をはめられて、もともと感覚の鈍い粘膜が中途半端に刺激を感じ取っていて気持ち悪かった。
じぶんの筋肉がどうなってたかわからないし、どうすればいいかもわからんかった。
患部を焼くのが、いちばん痛い。手術室中に焼けこげたにおいがした。
看護士さんが、痛そうな処置のときにいちいち「ちょっと痛いですよー」とかいうのがうっとうしいから、血圧計がはめられてない左手で看護士さんの手握って、術部に集中しないようにずっとじぶんの心電図ばっかりみてた。
あーもうにどとあのなかになんもいれたくないとおもった。

さいきん、草薙厚子著の酒鬼薔薇聖斗の矯正記録をぱらぱらよんでる。
あの事件当時わたしはまだ小学校2年生くらいだったろうけど、なんかすごく共鳴するような感覚があって、ながいあいだぼんやりとずっと覚えてた。
それから殺人事件の犯人にとても肩入れするようになった。とくに猟奇殺人。
同情するわけではないけど共感はした。でもなんとなくそのことをだれにも話したことがなかった。
そういう共感をしなくなったのが、奈良の小一女児殺害事件やった。遺体をコンロの箱に詰めて道ばたの溝に放置した事件。
この事件がすごく気持ち悪かった。
犯人の小林薫が若干(というかだいぶ)父に似てたのもあるのかもしれないけど、それまでリアルに想像してもなんともなかった被害者の遺体のイメージに、このときはじめて吐き気をおぼえた。
このときの被害者の女の子は、ほとんど外傷はなく、水死だったけど、犯されて、その小さくて細く、白いからだをぐにゃりと曲げられてコンロの箱に入れられたんだなあと思うと、口の中が汚物だらけになりそうやった。
生気のない白さの、出っ張った背骨にかぶった薄い皮がすぐに傷つきそうやった。

ながいあいだ、なんでじぶんがあの酒鬼薔薇事件にあんなに共感したんかわからんかったけど、いまはじめてこの本を手に取って、それがやっとわかった。

じぶんがいくつのとき、どっちの親と、どこにある、どの家で、どれくらい暮らしてたか、もうわからん。
さいきん、どの鍵で目の前のドアを開けられるのかも一瞬わからなくなる。
じぶんの力ではどうにもできないくらい父との生活が精神的に苦しすぎて、いよいよ学校の先生やクラスの子たちも見放しはじめて、それでもなんとか生活を立て直そうとして必死の思いで母の家へ行ったけど、母はわたしを歓迎しなかった。
できる限り家事を手伝ったりしたけどだめだった。
ほぼ毎日、生活費や生活時間帯のことを迷惑がられた。
持っていたお金ぜんぶ渡したけど、それでも母の機嫌はなおらなかった。
以前わたしが母の家を出て行ったときは、「寂しい」とか「ひとりで食事をとるのがつらい」とかいうメールや電話をくれたのになあ。

そういう生活が1週間くらいだけ続いたけど、テスト前夜にわたしが試験勉強をしているといきなり母が、「仁志(弟)の生活が心配だからあの家に引っ越そう」と言い出して、それから急いで荷物をまとめて深夜に引っ越した。
このときほんまに、「ああこのひとわたしのことなんかどうでもいいんやなあ」と思った。
ほんの2、3ヶ月前に、受験に向けて意識が足りないとか、勉強不足だとか、デッサンもほとんど数こなしたことないくせにいい気になるなとか言って、わたしが大泣きしても怒鳴り散らすのをやめなかったひとが、いままさに勉強してるわたしの手を止めさして、いまに始まったことじゃない弟の生活悪循環のために、別れた夫がいる家に引っ越そうとしてるんやなあと思ったら、笑えた。

いま母は毎日わたしの部屋で寝起きしてる。
ベッドとピアノと勉強机があるわたしの狭い部屋に母のためのふとんを敷いたら、勉強机の椅子を引くのがやっとくらいのスペースしかない。
しかも母は夜早く寝るから、なにをするのもやりづらい。
弟の生活は母の(わたしの)気も知らず相変わらずで、朝方まで起きて、昼頃まで起きない。
いちど弟が11時過ぎに帰ってきたとき、わたしが同じことをやったらわたしが泣くまで‥、泣いても怒りつづける母が、弟にはやさしく「気をつけなさいよ」のひと言ふた言で済んだのには、怒りを通り越して、なんかもう、何もかもどうでもいいような気がした。

母は子どものときから身体が悪い。だから毎日体調不良を訴える。
胃が弱いとか、血流が悪いとか、身体的なことだけじゃなくて、神経とか、精神的な病気もあった。
だからわたしにできるかぎり、話を聞いたり、相づちを打ったりしてきたつもりやった。
父とのことも、父方の家族のことも、不倫相手とのことも。
母は弟のことも何でもわたしに相談する。
どうしたらあの子の生活が直るかとか、学校に行くかとか、成績が上がるかとか、やる気が出るかとか、メールが返ってこないとか。
わたしがどんなにしんどいときも、知らずにそんなことを聞いてくる。
それなのにわたしが風邪を引きはじめても、「大丈夫?」のひと言もない。
きのうの手術から帰ってきたわたしをみても、「つらかったね。よく頑張ったね。」のことばもなかった。
寝るまで待ってたけど。
そのくせピンポイントでわたしの気持ちをえぐるのは抜群にうまい。
小さいときは、ピアノがうまく弾けなくて、椅子ごと倒されたりもした。
なかでも、こないだ「逃げる家がたくさんあっていいわね」っていわれたのは衝撃的やった。びっくりした。
好きで住める家が増えていってるわけじゃないとおもってたけど、この認識は間違ってたんやろか?

弟までそっちに引きずり込まんといてほしいなあ。
あの子だけがわたしと同じ境遇の、同じような気持ちを理解できる、唯一の姉弟やのになあ。
あの子を恨めしがったり憎んだりしたくない。

餓えてるんやろなあ、当時の酒鬼薔薇聖斗も、わたしも。
だからあんなビリビリした電気を感じたんやろう。

わたしがいちばん好きな両親との、とくに母とのコミュニケーションは、わたしが生まれる前からのわたしのアルバムをみること。
小さいわたしをみてにこにこしながら写ってる母や父の顔を見たり、「この写真を撮るときは機嫌が悪くて大変だった」とか「このとき折り紙と一緒にスカートも切った」とか、内容は何でもいいから、母がわたしのことだけを思い出して話しているのがうれしい。

きのう婦人科であかちゃんをみた。
すごいちいさくて、うるさいとこなのにおとなしく寝てて、かわいかった。
ずっとおもってることやけど、あかちゃんがほしい。
相手はいなくてもいいから、あかちゃんがほしい。
そしたらその子には絶対こんな思いさせへんと思う。
でも反面、こんな負のイメージを持ってるじぶんは親になんかなったらあかんとも思う。
その子をいちばん殺してしまいそうな気がしてこわい。
酒鬼薔薇事件から続いてた殺人への共鳴が奈良女児殺害事件で途切れたことは、わたしが子どもからおとなになったってことで、ある意味その間じぶんを含めた誰をも殺さずに無事生き抜いたということやけども、でもだからって、こどものとき刷り込んだイメージが、いつでてこないとも保証できへんもんね。
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